Yo La Tengo: "I Can Hear the Heart Beating as One" (1997)
ライター:Rob Mitchum 翻訳元:http://pitchfork.com/features/staff-lists/5923-top-100-albums-of-the-1990s/8/ 翻訳者:Gasse
Top 100 Albums of the 1990s 第25位
もし君が偏執的な陰謀論者タイプの人間だとしたら、アイラ・カプラン Ira Kaplan (Vo, Gt, Key)がかつて、輝かしき“Pale Old Boy's Club(もやしっ子クラブOB会)”の一員であったことから音楽評論家たちの同業組合との馴れ合いがあり、それゆえに評論家たちはYo La Tengo(以下、YLT)を批判しないのだ...とかいう類いの話を信じるに違いない。だが、幸運にもこの3人組が、この『I Can Hear the Heart Beating as One』のようなすばらしいアルバムをリリースしてくれているおかげで、我々は批判されるべき身内贔屓を歴史のベッドカーテンの内側へ隠しおおせている、というわけだ。最初期のYLTにとっての最高傑作であった『Painful』(1993)の後、強そうな頭文字(ICHTHBAO)を持つこのアルバムにおいて、彼らはさまざまな音を探求した。“コオロギの鳴く音のような静かなドローン”とか、“ざあざあと流れる小川のようにいつまでも耳に残るドローン”とか、“Beach Boysのカバー曲で君がこの文章を読んでいる間じゅうずーっとおんなじコードを繰り返すドローン”とかだ。だが、この“専門用語”に騙されて、このアルバムの音像が中西部の平原めいたものだと思ったらそれは間違いだ。「Moby Octopad」と「Autumn Sweater」はほとんどDJのようなカット・アップ手法でつくられているし、「Deeper Into Movies」と「Sugarcube」はおそらく、カプランがフィードバック・ノイズを撒き散らす姿を見られる最後の機会になるだろう。甘いボッサ・ノヴァのような「Center of Gravity」が、この難解な作品からの脱出口になるかどうかは自信がないが、しかし『I Can Hear the Heart Beating as One』は、大抵のバンドたちの最終到達点よりも優れて、頭の中を引っかき回してくれる作品なんだ。